弘経寺 彼岸花

彼岸花と弘経寺

弘経寺という寺が水海道にある。 なかなか読めない難しい寺の名・・これは「ぐきょうじ」と読むそうな・・・

まあ、ここでは読み方の勉強ではないにしてもなかなか難しい寺の名称。 そしてこの寺が彼岸花の名寺の一つになっている。 この周辺は、利根の流れがある場所で色々の川とか多く、地形が絡み合っている場所! 地図で直接行こうとしても道が無かったり、川の土手を通過したりとかなり難しい場所・・・やはり水海道というような名称があるゆえ川と水の郷ということになる。 

わかりやすくゆくために今回は、有料道路(有料大橋)をわたって簡單に行事にした。 しかし驚くことにこの界隈は工場が多くそのための有料橋がかかっているわけだった・・・勿論簡單に簡単に行けたのではあるが、それにしてもこの弘経寺なかなか場所がわかりづらかった。 帰り道には、すこうs遠回りをして帰ったが、なるほど路は狭くなり道がなくなるのかと思うほどの路ずたい、でやっとの思いで、水海道の方に出ることが出きたのである・・・

さて、本番の弘経寺・・・広い場所にあるのかと思うと意外と民家の多い場所にあり驚かされた。そして隣がまた工場というようにかなり変わった場所にある寺であった・・・かなり奥は広くいろいろな建物があったが、全般的には彼岸花が入り口から咲いており静かな境内であり、そこに歩く道すがら彼岸花が咲いているのである。 それらは日陰の場所に咲いているということでやや遅れ気味と言って良いかもしれなかったが、思うに、入り口は太陽が燦爛とかがたく場所であり、彼岸花が少し日焼けを異起こしていた・・・要は、全般的に一度に咲くのでなく場所によってかなりの開きがある場所と言えそうである・・・

それにしてもこんな民家のある狭い道の場所におおlk否寺が奥まって立っているのであるから驚かざるをえない! やや四角の境内でわかりやすい構内である。 建物が大きく経っておリ、その風格が忍ばれる。 入り口の花が最低rつ直ぐ裏が駐車場になっており、外から少し隠れた場所が駐車場ということになる。 そこに車を止めてそちらから入るとなにか回り方が逆のような感じがしてきた。と言うのも跡から分かったtことは、東側に正式な大門があってそこから入るのが正規であったような・・・

そして、この寺つたいの西側にも古い神社のようなものがあってこの療法が弘経寺かと思うとそれは違うようであった・・・この療法を合わせるとかなりの広い場所と言えそうであるが、興味深い神社と寺が並んであるという構成になっているのである・・・

水海道というような場所としては、ここにはそうしたイメージは全然なくん夏の終わりの枯れ葉とか木々の葉がやや変色して秋を待っているといった感じの森のなかの感じが漂っていた。 

それでもこの弘経寺の南側には背丈の長い養分の多い彼岸花が元気よく咲いており驚かされんばかりであった。 こんな場所にもやはり花寺があって昔からの門徒衆がこれらの花を丹念に植えて現在に至るのだということを実際の感じ取るのに十分な花の量が咲いているのである。

本当に土手のような計上の場所に彼岸花が咲いているので見る者にとって保本当に嬉しくなる花の美しさである。 こうしてきてみるとどの彼岸花も同じことはなく寺の感じとか、花の冠味そpして集j編の環境に牛配されて、ことごとく同じ類の寺と万jy車げの花はないということがわかってくるのである・・・

     この弘経寺の隣に八幡宮がある。 隣の彼岸花と区分があまりされていないが、ちょっと変わった八幡宮ということになり、歴史的に見ても興味がある宮といえるだろう・・・

     彼岸花の里というより歴史的な弘経寺と彼岸花の組み合わせといった寺なのである。 東国百花寺として十分な歴史ある寺であることには違いないのである・・・

田園農家風の里の中というような感じで鑑賞をすると決してそのような場所でなく、地図上ではなにもないので静かな場所とおもいきや団地がある生活感のある街なかでこの寺と花が息づいているのであった・・・・

実はここは、薔薇の花のい美しい有名なバラ園も近くにある。 しかし彼岸花の時期にはバラの花は衰えており多分少しの花しか咲いていないのだろうと思われるが、興味深い方はバラの花がなくともここには古くからの大きな農家があるのでそれを見て楽しんでみてはいかがだろうか・・・この周辺には、そうした観光資源が残っているのである。

弘経寺について: 弘経寺(ぐきょうじ)は、茨城県常総市豊岡町にある浄土宗の寺院。山号は寿亀山。院号は天樹院。本尊は阿弥陀如来

応永年間(1394年 - 1428年)、良肇の開山により創建され、江戸期には浄土宗の檀林がおかれた。 茨城県紹介ページより

千姫ゆかりの名刹・多くの名僧を輩出
茨城県には“弘経寺(ぐぎょうじ)”と名のつく寺院が3つある。その中でも水海道市にある『飯沼の弘経寺』は、かつての「関東十八檀林(江戸時代の浄土宗僧侶の養成機関)」のひとつとして多くの学僧を世に送り出し、関東の中心寺院として栄えた。
開山は応永二十一年(1414)。良肇(りょうちょう)が横曽根城主の帰依を得て、飯沼村に建立したことに始まる。聖冏(しょうげい)、聖總(しょうそ う)の弟子である良肇は、弘経寺を学問の場として教育に専念した。このため、二世の了暁(りょうぎょう)、三世の酉冏(ゆうげい)、愚底、珠琳、存冏など 布教に活動的な僧侶を多く世に出している。・・・浄土宗正式ページより

以上、調べてみるといろいろな由緒ある寺であることが分かる。

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