下諏訪温泉 高遠桜

松本周辺

長野県には温泉地が多い・・・そして自然が多いので素晴らしい旅の情緒が感じられる。 ここでは、長野県の松本市を中心とした、下諏訪温泉と高遠のさくら、そして松本城などを見てみよう・・・

松本市 松本城

松本市といえば何と言っても松本城。木で出来ておりほんとうに素晴らしいお城です。木ですから少し黒く変色していますがそれが何よりの歴史を表しているのでしょう・・・また、ここから少し離れますが、高遠の桜も有名です。 温泉と桜と城を楽しむことが出来るのです。

下諏訪温泉

長野県の中心部、諏訪大社の付近には美肌の湯がある。 ここは中山道の随一の温泉宿場として有名だった場所。 それだけに裏道街道筋に入ると、そうした歴史的な場所が忍ばれる。 この長野県の下諏訪は、長野県の北側(上半分)には、ある長野市、そして下半分が真津本を首都する場所で、よくひょうたんの上と下に例えられている・・・その下側の、岡谷駅から下諏訪駅そして山梨県へと連なる山の山塊野ある場所であり、山は、説明の必要もない超有名な、八ヶ岳である。 この下諏訪駅の地殻には名だたる諏訪湖があって、この反対側には、高速道路も走っており諏訪ICからの諏訪湖の眺めも美しい。

     この下諏訪温泉は、宿場として、諏下道山中という提灯のような案内表示がる。 この道筋は、昔からの歴史的な名旅館とか温泉街が揃っている。 ここは、この中山道では一番の反映した温泉だったと伝えられている場所である。 しかし、今は、やや裏街道として、静かな街道筋となっているのである。 家の前には、湯が滴るマスがあってそこから自由にゆを組み上げて利用している姿が見えるのである。 よく九州でこのような場所を見られるようであるが、ここ諏訪市でもそのような場所なのである。 温泉が、生活と密着している街なのである。 


店の前では、タイル貼りの足湯の施設があったりして、だれでも自由に利用することができます。そして石臼のような形の臼の中に湯、名湯がちょろちょろと流れ込んでいたりしてとても感じが良いのである・・・ 歴史のある湯と見えて「綿の湯」などと、それらの湯の出る場所には名称が掲げられていたりする・・・表示があったりして飲んで楽しむこともできるという・・・
ここでは諏訪大社の女神の湯というような湯宿がいまも歴史を感じながら営業をしているのであるから、驚かされる・・・

     ここは甲州街道と中山道が合流する地、そういう場所に歴史的な燕来荘、などと呼ばれる宿もある。 この宿のちょうど前に桔梗屋はある。 やや道路が曲がる場所でありながら、白壁で歴史的な看板が目立つ。 そ創業が元禄3年(1690年)というから 歴史の古さが伺われる。 畳敷きの旅館であり、完全に昔を思わせる感じが残されている宿場簿感じがヒタヒタと感じるのである。 この看板には上に五紋が記されており、その歴史を観ぜざるをえない宿の風格が残る。 当然ここは、下諏訪でも最も古い歴史を有する旅館であることには違いない。

  

   

話しによれば、浮世絵の歌川広重がこの旅館の絵を書いているのでその歴史の重さを感じさせる。 又、十返舎一九の作品の中にもこのききょう屋が乗っているというのである。 文豪では、 川端康成もここに逗留したというから文化人は、ほとんどここの宿にお世話になっているのであるという。 風呂は中に薄緑色をしたタイルで綺麗にまとめ上げられており、石の間から湯がこんこんと出ているのである。 これだけ湯が出ていると圧巻であり、気持ちが良い、とても感じが良い・・・「女神様の化粧水」という美肌の湯なのだそうである。
泉質は、塩分が多い、ナトリウム、カルシウム、塩化物硫酸塩泉であり、神経痛、筋肉痛、運動器障害、打ち身、冷え性、疲労回復に良いという。 こういう歴史的な話を聞くと、長野県人の素質がよく感じられる。 なんでも素晴らしい物を皆で大事にして、それを昇格して過渡場で表す気風があるのである・・・平日¥15270-ということである。

     そしてここには、諏訪大社があるゆえ、その歴史なっ高いのであるが、中山道に下諏訪の宿坊本陣岩波屋、というのが残っている。無論、文化財であるが有名な旗本が、泊まると大樹の木の板にその名が記されておりそれを掲げたのだそうである・・・、又そうした旗本の宿泊の場所(部屋)は、作りが豪華で、眺めがよく、部屋は異なっていたという・・・そういう歴史的な建物が多々見られるのである。


     門松があって門が大きく歴史的であり、見るからに奥ゆかしい、そして奥まで続く道その両脇には木々が植えられたりツツジがあったりと、最初固めを楽しませてくれるのである。 これおw見ただけで、当時の面影が偲ばれる雰囲気が醸し出されているのである。
     入り口には白木の看板があって入館料が表示されており、内部を自由に見ることができる。 四角い敷石が点在しておりそれにそって玄関まで辿り着く・・・それほど奥が深いのである。 老婆が一人ここの主、入り口には旗本の大きな板に書でしたためた看板が 認められており、これとても往時の面影が強く残る・・誰が見てもなにか重々しさを感ずる有名旗本の書いた文筆といった感じが残る。


     昔風の建物であるゆえ、少し暗い感じは否めないのであるが・・・入館料は、400-ということ。 大名が参勤交代の時に宿泊した場所が残っているのは、現代では、特に珍しいという・・・ここで、貴重な史跡を間近で見ることができるのである。
     この老婆は、27代目の当主というから驚かされる。 この岩波家の直ぐ前が中山道、よって当然昔は参勤交代の人がここを通るのでその休み場として利用されていたものなのである。 身分の高い大名が泊まる奥座敷もいまに残り、池があったり、木々が剪定されてきれいに保たれ歴史観ある場所という感じがいまもそのまま残っているのです・・・・

     そしてまた山道を登ってゆく・・・ここは、毒沢温泉と称される場所・・・そこに日帰りで入れる神の湯、700-がある。 2階建ての大きな建物でその周囲は緑で覆われており秋に来るとその紅葉は、素晴らしい場所と言わざるをえない。 ここは古いと言っても創業80年という。 木々が全て昔風の歴史的なものばかり。 関東ではとてもこうした宿は見当たらないだろう。 玄関の弁天様、または奥の龍神様に手を合わせてお参りしてから湯に浸ると良いとのこと・・・これは「湯は神の恵み」という喩えから来ているそうなのです。 山の切り立った奥に小さな神社ができていて、そこに手を合わせて湯をいただくのです。 赤と白の綱が上から吊るされたスズに連なっており、それを揺すって拝むのです。 通常の神社と同じ漢字です・・・要は、神様の神社が奥にあるということです・・・
     ちゃんと狛犬まであるのですから驚かされます。 この神社の中空奥の山の方まで登れるような階段も見えますが、そこへは行けないようにできていました。 古い感じの木の鳥居も魅力的な毒沢温泉・・・(名称の由来は・・・、 飲用、浴用、外用に効く、というように3拍子揃った「神秘の薬水」の出ている場所を皆に知られるのを隠すため似、昔の人達は、守るために、こうした恐ろしい名称の蛇がいるかのような名称 “毒沢” としたのだそうです)
     450年前に武田信玄の家来たちがここで怪我を直したと言われる信玄の隠し湯(長野県から山梨県にかけては秘湯は体外信玄が絡んでいるようです・・・)・・・泉質が凝っていて、がんてつ(||)アルミニューム、硫酸塩鉄甲船(賛成低調整冷鉱泉PH2.5)効能;神経痛、筋肉痛、50肩、運動麻痺、慢性紹介病、次疾患、冷え性、に聞くという・・・そして驚くことにここの結は黄色い水をしており鉄分が多いことを証明している湯なのです。
    ミョウバンが古い皮膚の角質をとりされ肌をきめこまかく、すべすべにしてくれるのだそうです。 ここでは、飲用の鉱泉も用意されています。 

この近辺では、有名処として、 苔泉亭、萩月庵 千ひろ、 と称される蕎麦屋、天ぷらもりそばで1750-、そば、天ぷら、生わさびとスリ板、其の他アイス(わさびを付ける)、お進行3種類などが振る舞われるわけです。  新鶴本店:これは羊羹などの銘店。

      諏訪大社の外宮、秋の宮のそばにある。(秋の宮の他は、春の宮もある) 下諏訪駅の中山道際にあって、桔梗屋、本陣岩波家新鶴本店、(甲州街道と中山道の合流するそばに、2階建ての古風な家が見えてくる。 前には紺色ののれんがはためいている。ここは誰も知っている菓子の名店である。 このへんは、どの家を見てもどっしりとした作りで各家がその歴史を感じさせてくれる・・・そしてその暖簾には、塩羊羹という名前が大きく刻んである。

      かなり大きな羊羹で、箱に入っており、最初いただくと驚くほど重量感のある羊羹なのである)もちろん御菓子処なので、まんじゅうとか、一般的なものも販売している。明治6年からの営業ということで140年以上立っている銘店・・ここは諏訪大社のすぐとなりと思えばわかりやすいでしょう950-からです。 材料の持ち味を活かすためにシヲを用いているという・・・決して塩辛さはない!)、が奥州街道脇にある。 

     ここでは、最も遠いのは、毒沢鉱泉神の湯、そしてこれからここでこれから紹介する、「万治の石仏」である。 これも毒沢温泉の入口の方にある有名な石仏。 石仏というと一般的には人間の形を指定ますが、この仏像はちょっと形が異なり首から上は人間と同様ですがそこから下の骨格は全く異なり、円形の石で出来ている体なのです。 何か丸石の上に首が乗っているといった説明が良いのかもしれないのですが・・・・これは一見の価値ありでしょう・・・裏山には木々が茂り、田んぼがあります・・・、そして川伝いにここに行くのですが、とにかく有名で、多くの人がお参りと、又観光見学のために立ち寄る名所なのです。 万治とは(石仏の「万治」は、この石仏を建立した願主が、万治3年(西暦1660年)と刻まれているところによるものです)(明暦3年(1657年)、諏訪高島三代藩主忠晴が、諏訪大社下社春宮に遺石の大鳥居を奉納しようとした時のこと。命を受けた石工がこの地にあった大きな石を用いようとノミを打ち入れたおり、はからずもその石から血が流れ出た。驚き恐れた石工は大鳥居の造作を止め、あらためてこの不思議な石に阿弥陀様を刻み、霊を納めながら建立された・・とされているのがこの石仏です。・・・観光協会説明より)


     これは実は、あまり知られていなかったのですが、岡本太郎が生前にこんな面白いものはないといったことから有名になったお言われている石仏です。

     

これは今ではパワースポットでもありこれを拝んで結婚した人もいるとか・・・

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其の他「下諏訪には温泉の外湯が9箇所もあるのです」。 又足湯も当然あります