あんずの里 

あんずの里 思い出風景

      最新情報   ★ 2016年の開花状態はどうか調べてみたらもう見ごろとなっているようです・・・(4月4日現在)・・・2016年4月4日あんずの里のあんずの開花状況です。 平地→中間→山際の順番で標高が高くなっています。 ※あんずの里マップやシャトルバスの時刻表は、この記事の一番下のリンク先からダウンロードできます。 千曲観光   開花の経過など:3月末~4月中旬(2016年は4/1~4/17。開花の予想は、3/23現在では3/31です) 満開は'98年~'04年で年により4/2~4/20でした。桜同様、見頃の時期は1週間程度です。 2012年は4/14に開花・4/20頃見頃と、開花が遅れたため一部設備は祭り期間後も延長されました。

以上のようで、かなり早く咲いてしまいました! ★その他:「信州花田より

こちらの新しい写真集は、みちくさ情報へから・・・あんずの里

から見ることができます。 このシリーズでは、あんずの里の昔風の写真を紹介してみたいと思います。 きっと懐かしい写真がたくさん出てきます。 そして中には、篠ノ井から山の方に向かった時の杏の花の写真も見ることができます。 美しい信州の杏の花を堪能してみてください。 

      「あんずの里」 は、日本でも有数の美しい花の楽園である。 文字は違うにしても桃源郷とは、こういう所を言うに違いない ・・・・周辺の未だ寒さを残す山々、遠く霞む戸隠の山々、そして善光寺の裏山の飯綱山、数えてみれば数限りない名峰に囲まれた美しい場所なのである。 私もここは何回言ったことだろうか、本当に嘗ての美しい静かな杏の里は、もう帰っては来ないのであろう・・・・そして、最近は観光ブームに沸いて、嘗ての巨木は殆ど無くなってしまったのである。 それにしてもこの杏の里も周辺の昭和の大合併のせいでなを変えてしまい、何か異質の場所に来てしまったような気がして成らないのは、私だけであろうか! 今回は私の往時の秘蔵の写真を交えて現在の杏の里と過去の郷を比較しながら往年を忍んでみたいと考えているので、ごゆっくりとご覧下さい。 では、先ず杏の里の、奥の方から見ていくことにしよう!

 

あんずのさと風景

 

     私が、杏の里を旅したのは、もう30年以上前なのかも知れない! 現地には、親戚などもあったので、ここへ連れてきてもらったのが最初であったのだ。 その頃は、まだまだ、杏の里などと言ってもあまり知られていない、農村集落の一部とでも言おうか、本当に人の少ない農村地帯であり、こちらの方が、どこから来たのかというようなムードで、見られて事を思い出すのである。 そうして、現在に至るわけであるが、現在の混み用は、また、どうしょうもないと言えるのである。土、日などは、道が渋滞してどうしようもなく、動きが取れなくなってしまうのである。 それでも、この美しい花を見ようと多くの人達が、今でも好んで集まる場所であることには、違いないのである。

 

古い家のあるあんずのさと風景

湯治は、こんな風景がたくさんあったのですが、最近はすっかり近代的になってしまい昔の思い出が少し激変してしまったようです。 ここで、往時の美しい農家の土壁を顧みて見よう! ご承知のように今は、ここは、杏の里公園になってしまったところである。 ここは、風景が美しいところだったので、写真家は勿論、画家も遠くから訪れてええ江下り、沢山の名作が出来た場所なのである。 とにかく周辺は静かでもここには、沢山の人がいたことは確かである。 遠い思い出のいったんなのかも知れない・・・

珍しいトタン屋根のあんずのさと民家

こちらは、現在の杏の里である・・・やはり、かなり近代化が進んでいることが分かるのである。 早春に訪れる人達もそれほど多くなく観光化がそれほど進んでいなかった時の風景です。

現在のあんずのさと民家

これらは惹かき雨滴新しいあんずの里の風景です。 だいぶ変わっていることがお分かり頂けるでしょう・・・・

信州特有の土壁の民家 手前の赤いトタン屋根が魅力的だ

こういう風景は、整理されてしまい、とても残念です。 この杏の木も切られてしまったことであろう・・・・・信州では、土壁の家がたくさんありました。 壁が少し崩れると中から竹と縄でいわいた骨組みが出てきます。 そしてその上に土壁をねって載せて塗り上げてゆくわけですが、ここにその原点となる茶色の蔵のような家があったのですが、今は殆ど無かったです・・・・

あんずの里から少し東に行くと見えてくる風景

 これも昔の杏の里から少し篠ノ井の方へといった時の美しいあんずのさととことなる風景ですが、こんな美しい自然は、ちょっと見ることができなくなってしまいました! の写真であるが、今も、ここは残っているのでしょうか? 現在は、あまりにも有名な場所で賑わっていました!!・・・・最も、ここは、一般の人が来るのではなく、より東方側の位置なので、知らない方も、いるのかも知れませんが・・・・

あんずの里で一番大きな湯治の民家であり今ではこの場所に白いくらができてしまっている

 しっかりした、この様な土壁の農家が、多かった杏の里、木もよく見ると、古木が多く、本当に自然に調和していたことが、いやと言うほど、お分かりいただけるのではないでしょうか・・・・・本当に美しい桃源の郷だったのでした。 ここは、今は、白壁の近代的な蔵ができてしまった場所です。 こんな場所が今でもあればきっとカメラマンがたくさん来て激写っすることでしょう・・・・ほんとうに懐かしい写真なのです!

 ご承知の方もあろうかと思いますが、今回、このHPは、改訂を実施して、古い杏の里と、現在の杏の里を対比して紹介してみました・・・・以前のHPの写真は、まだ、この下の案内から、リンクがあるので、ご覧になれます。 それにしても、山間の村に広がる美しい、この杏の里、何時までも、この文化遺産を、守って後世に残していきたいと思うのは、私だけでしょうか・・・・

篠ノ井の奥で見つけた今では見ることのできない民家の風景です

 篠ノ井の風景です。 古い民家の屋根が稿屋根でできており、本当に昔風の風景です。 あるとき長野の西の方へ行った時たまたま見つけた道の脇の家出した。 本当に今では見ることができない貴重な風景となってしまいました。 今回は、どちらかというと、杏の里の一般観光道路と離れて裏の方(東側の山裾の方を紹介してみました・・・・皆様も、もし時間が取れるならば、こうした奥が有ることを知って、探索されると、本来の杏の里を知ることが出来ることでしょう。 ここで、紹介した場所は、一般的な森地区からやや奥に入った倉科地域の様子である・・・・どちらかというとこちらの方が、昔の情緒が残っており山間の村というムードが漂う地域である。

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